Gメン「オッサン」枠。ハードボイルドで人情派という異色の捜査員。電車内のトラブルで知り合った男が殺され、一人残された幼い息子に親代わりのような気持ちで接する。非行少女の更正に全てをかけるという人情路線。自殺を図ろうとビルの屋上に立つ男とその子供を必死に思いとどまらせようとする。
単に情をかけて犯人に救いを差し伸べるのではなく、現場たたき上げの苦労を重ねた経歴からにじみ出る、いわば人生の裏も表も知り尽くした年輪の心理捜査が得意だ。
歯切れのよい裏表のない実直な発言にも、好感が持てる。ドライな同僚が多いなか、温かみのある彼の行動は新鮮で、ドラマ全体に奥深い雰囲気をもたらす役割も担っていたようだ。
警視庁捜査三課に所属し、スリ、窃盗、万引き捜査を専門に活躍していた。設定は福島県出身。
第187話「爆弾を持ったサンタクロース」では、小説の創作に熱中して事件に巻き込まれる、職務を離れた山田刑事の素顔を見ることが出来た。Gメンを題材にした小説を書くことで、犯罪に巻き込まれてしまうこのエピソードは個人的にイチオシ。ミッドライフクライシス(中年の危機)なエピソード。
第37話「チリ紙交換殺人事件」では、チリ紙交換を装い殺人事件をおこす犯人を追う。現場に居合わせた刑事(草野大吾)が犯人に襲撃され重傷を負う、衝撃的な内容で視聴者に強い印象を残した話で、どことなく親しみやすい山田刑事に適任な潜入捜査であると感じた。設定では山田刑事が生まれる前に父は他界していたという。
第19話「デカ部屋の悪霊」では、大学受験を控えた弟・山田正人(渡辺隆司)が登場する。 昭和2年1月18日生まれの山田は、昭和50年当時、48歳。 正人とは、最高30歳の年齢差があることになる。いろいろ考えこむが、設定がおもしろいことに変わりはない。
第1話「エアポート捜査線」で、スリを護送中、バスジャック犯を追跡中の草野刑事と出くわしたことがきっかけとなり、Gメン75のメンバーと出会う事になる。小田切警視から黒木警視に紹介され、第2話「散歩する囚人護送車」での護送車運転手に扮した活躍で国際銀行ギャング団を関屋らと摘発。Gメン75のメンバーとして抜擢される。
第204話「ミスター・ブー殺人事件」で覚せい剤ルートを追う過程で城西署署長の強い要望を受け、引き抜かれ、異動、Gメンを降板する。黒木が山田を渡す条件として署長に提示したことは、「Gメンが必要とした時は彼の力を再び借りる」という将来の復帰を念頭に置いた交渉内容。だが、Gメンとして勇姿は見収めとなる。
山田刑事は、アパート光荘で独身生活を謳歌している。愛称は「オッサン」。初期は特に草野刑事に呼ばれていた愛称、いつしか皆から「山田さん」「山田刑事」と呼ばれるようになった。最後に「オッサン」と呼ばれたのは、 第187話「爆弾を持ったサンタクロース」。この作品では、小説創作にはげむ人間としての山田刑事の素顔を見ることが出来た。
山田刑事の温かさについて、第45話「警視庁広域手配No.307」は脚本が秀逸。電車内のトラブルで知り合った男が殺され、一人残された幼い息子に親代わりのような気持ちで接する場面である。地味ながらも、ねばり強い捜査活動は同僚のGメンからも信頼が寄せられていた。第174話「母ちゃんは地獄へ行け!」では自殺を図ろうとビルの屋上に立つ男とその子供を必死に思いとどまらせようとする姿には胸を打つものがあった。第197話「非行少女ミキ」では非行少女の更正に全てをかけるという人情路線を 見せてくれた。第26話「冬のヨット・ハーバーの殺人」、第35話「豚箱の中の刑事」、第64話「逃亡刑事」 は、山田刑事が自らの失態で拳銃を盗まれたり落としたりすることが描かれ、直属上司である黒木警視の寿命を縮めてしまいそうな、他人事とは思えないコミカルなエピソード回だ。
そんなエピソ-ドも忘れられない。 フルネーム:山田八兵衛。
過酷な現場。近藤照男プロデューサーが大の編集好きで、1時間のドラマ番組を収録するのに2時間ドラマ並の収録時間をタップリ掛けていたからだとか。いわゆる「とって出し」。ひどい場合には、放送日当日に編集が終わる事もあり、現在では考えられないワークライフバランスの職場。おまけに完全な予算オーバーになることもしばしば、テレビ局から大目玉をくらうこともありそうなものだが、高度経済成長期の日本、景気が良かった&視聴率も良かった=TBS側も文句を言わない良き時代、追い風となる条件はそろう。Gメン俳優陣も大晦日の夜中から元日の朝に掛けて収録した際には流石に呆れてしまったといわれている。収録は過酷を極め、当時は役者仲間うちでも「Gメンにだけは出演するな」とまで言われていたほど、大変なブラック現場として知られていた。
裏話。東宝時代から何かと共演する機会の多かった夏木陽介(小田切警視/演)は、Gメンに出演当時、藤木悠さんが居たおかげで過酷な現場でだいぶ救われたと、のちに述懐している。近藤照男プロデューサー独特の収録スタスタイルに、すんなりと揉めずに出演を継続していけたのは、先に「大作戦」シリーズで藤木悠さんがいろいろ経験していて、都度、適切なアドバイスを得られたことが大きいと周囲に話したようだ。

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